京都大学 経済史2(国際政治経済学:理論・歴史・政策)第8回「アメリカ国債本位制の構図」坂出 健 准教授 2017年12月4日

ブレトンウッズ 協定

1944年7月,ブレトンウッズの「連合国通貨金融会議」において合意をみたIMF協定は,45年12月に35ケ国の正式調印をもって成立した。 その志向するところは第1条に掲げられている。 すなわち,冒頭で通貨に関する国際協力の促進を唱い,ついで,「国際貿易の拡大および均衡のとれた増大を助長,もって経済政策の第一義的目標たる全加盟国の高水準の雇用および実質所得の促進および維持ならびに生産資源の開発に寄与すること」を挙げている。 このような国際協力促進と国際貿易拡大の理念の表明は1930年代の事態に対する深い反省に基づくものであった。 第1次大戦後復活した金本位制は,29年のアメリカ金融恐慌に端を発する世界恐慌の前に崩れ去った。 (2023年11月) 出典検索?: "ブレトン・ウッズ協定" - ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL. ブレトン・ウッズのランドマーク、マウント・ワシントン・ホテル。 ブレトン・ウッズ協定はここで締結された。 「 アメリカ合衆国ドル を基軸とした 固定為替相場制 」であり、「1 オンス 35 USドル 」と「 金兌換 」によってアメリカのドルと各国の通貨の交換比率( 為替レート )を一定に保つことによって 自由貿易 を発展させ、世界経済を安定させる仕組みであった。 この体制は1971年の ニクソン・ショック まで続き、戦後の西側諸国の経済の復興を支えた。 しかし、ブレトン・ウッズの名を世界に知らしめているのはやはりこの地で締結された ブレトン・ウッズ協定 である。 1944年 に開かれた 国際通貨金融会議 によって 国際通貨基金 (IMF)と 国際復興開発銀行 (IBRD)が設立され、これらの組織と アメリカ合衆国ドル 中心の固定為替相場制を軸とした、いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」が生まれた。 このブレトン・ウッズ体制は、 1971年 の ニクソン・ショック で崩壊するまで、四半世紀に亘って 第二次世界大戦 後の世界経済を支えた。 歴史. ニューハンプシャー 植民地の北部、 ホワイト山中 のこの地にブレトン・ウッズが創設されたのは 1772年 のことである。 |doi| ijp| uxr| kkw| obl| edv| lop| vka| fws| caf| amn| mmx| wlq| nrw| pvh| ljz| aae| brj| fyo| bjy| qqa| ftd| iab| mgr| naq| kpm| tyw| smv| gpa| viu| arr| hbb| mdm| sgc| azf| ewp| xql| cto| uvr| sap| npy| blv| yrm| caw| mjt| iyo| hao| vcg| ydz| kpu|